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 投稿者:sandaigasa 山桜  投稿日:2015年 7月 8日(水)11時13分10秒
返信・引用 編集済
  したがってもし相場の動きを捉えられるという言葉にある種の真実がふくまれているとするなら、そこにいくつかの前提や条件をつけねばならない。例えば、相場にとって強烈なインパクト与えると誰にも考えられる特別の材料が急に出現した直後におけるあるかぎられた期間についてならば、といったことである。

筆者の考えのスタートは“相場を見通すことができる人間はこの世には存在しない”という認識地点からである。この命題をうらづける証拠を挙げることは常識人にとっては実に簡単である。

まず明日なにが起こるかが予測しえるひとはいるだろうか。また相場に関心を寄せる世界の人々のふところ事情を知りえる人間がいるだろうか。もしいると主張する人がいたら、良識ある人々は彼の顔をじっと見たあと後ずさりしてしまうだろう。相場の先行きを見通すことができると豪語するひというのは、これにイエスと答えられる自信家なのである。すなわち結論をいえば、相場の世界は神のみぞ知る世界だということである。
 
 

相場考

 投稿者:sandaigasa 山桜  投稿日:2015年 7月 7日(火)10時10分28秒
返信・引用 編集済
  広い世間のうちには 相場の動きをとらえることは可能だと豪語する人たちもある。
相場のさまざまな局面を実際にながめ苦心してきた人なら、この言葉をまったくの虚偽であると断定することはないだろう。事実、過去をふり返れば一世を風靡し巨万の富をきずきあげた伝説の相場師たちがいたことも確かであり、そのときかれらが疑いなくその時の相場を捉えていたことが想像されるからだ。

とはいえ相場をとらえることが一般的に可能だとする言葉にも少なからぬ疑問がわくこともまた事実である。なぜなら歴史上にも相場名人と謳われた人物はいく人か存在したが、生涯の最後までその名を歴史にとどめたものは暁天の星にも満たないのが実際だからである。

したがってもし相場を捉えられるという言葉にある種の真実がふくまれているとするなら、そこにいくつかの前提や条件をつけたうえでのことであろう。例えば、相場にとって強烈なインパクト与えると誰にも考えられる特別の材料が急に出現した場合の直後におけるあるかぎられた期間についてなら、といったことである。

筆者の考えは、いうまでもなく“相場を見通すことができる人間はこの世には存在しない”ということである。この命題をうらづける事実を挙げることは簡単である。まず明日なにが起こるかがわかる人間はいない。また相場に関心を寄せる人々のふところ事情を知ることはできない。すなわち相場の世界は神のみぞ知るということである。
 

(無題)

 投稿者:sandaigasa 山桜  投稿日:2015年 6月 8日(月)12時17分15秒
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  意見
  投稿者:山桜  投稿日:2014年10月13日(月)10時55分6秒 ZT161218.ppp.dion.ne.jp
返信・引用編集済







『日本の文化・伝統』というフレーズはすでに保守派の常套語になって久しいが、その具体的内容は?と問われれば その解答は百人百様 まだ市民権を獲得していない段階にあるといえる。そしてこの設問の難しさを突き詰めればまたしても『日本人とはなにか?』という明治以来の日本人に課せられたお決まりの難題に直面する。そしてこれについてもまた百人百様の答えが提出されてきたがいまだに明確な答えが得られていないといえよう。

 『日本人とはなにか?』という設問について考える場合我々がもつ最強の資料は日本の歴史である。いうまでもなく歴史は、事実の記録ではあるがその史実を知るにとどまらずその意味を考えるというか解釈するところにその真髄がある。そしてまたここでも歴史解釈なるものが十人十色であることは周知のことである。すなわち『日本の文化・伝統』という言葉は空疎の謗りをうけずにつかうことはできないということである。

 日本の歴史は文字で記録されたものにかぎっても2千年に及ぶ厖大な内容をもっている。その記録を通読してここから『日本人とはなにか?』そして『日本の文化伝統』とは如何なるものか?を探ることは気の遠くなるような作業になることは疑いをいれないことである。

 

転記

 投稿者:sandaigasa 山桜  投稿日:2015年 6月 8日(月)12時15分34秒
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  引用
  投稿者:山桜  投稿日:2014年10月12日(日)14時26分28秒 ZT161218.ppp.dion.ne.jp
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アメリカという国は移民の国であるから決して一枚岩ではない。アメリカという名詞で、彼らの外交も経済も歴史も語ってはならない。基本的にはアメリカはワスプ(白人アングロサクソン・プロテスタント)とユダヤ人のせめぎあいの国家である。どちらがいう主張であるか見極める必要があろう。アメリカ政府は、金融を握っているユダヤ人たちと国家を形成しているワスプたちとの野合ともとれる。しかしそれぞれのグループも分裂があり、その力関係と時の動きで優劣を競うことになる。しかし傾向としては、ワスプは国益を考えユダヤはグローバリゼーションを主張する。(中略)

米国の民主党がユダヤ人の支持政党であることは衆知のことであるが、しかしそれは決してすべてのユダヤ人ではない。今やユダヤ人の中でもアメリカにいてグローバリスムを主張する派とイスラエルのナショナリスムを支持する派が分かれている。イスラエル支持者は、当然多元文化主義のグローバリスムと矛盾するのである。とくにリーマンショックのあと金融のユダヤ人たちの内部でも分裂している。民主党のヒラリー・クリントン国務長官が、ユダヤ人の代弁者であったことも知られている。(田中英道『 外交問題のへそはユダヤ人問題である――韓国を例にして』)


 

(無題)

 投稿者:sandaigasa 山桜  投稿日:2015年 6月 8日(月)12時13分45秒
返信・引用
  引用
  投稿者:山桜  投稿日:2014年10月12日(日)14時26分28秒 ZT161218.ppp.dion.ne.jp
返信・引用編集済







アメリカという国は移民の国であるから決して一枚岩ではない。アメリカという名詞で、彼らの外交も経済も歴史も語ってはならない。基本的にはアメリカはワスプ(白人アングロサクソン・プロテスタント)とユダヤ人のせめぎあいの国家である。どちらがいう主張であるか見極める必要があろう。アメリカ政府は、金融を握っているユダヤ人たちと国家を形成しているワスプたちとの野合ともとれる。しかしそれぞれのグループも分裂があり、その力関係と時の動きで優劣を競うことになる。しかし傾向としては、ワスプは国益を考えユダヤはグローバリゼーションを主張する。(中略)

米国の民主党がユダヤ人の支持政党であることは衆知のことであるが、しかしそれは決してすべてのユダヤ人ではない。今やユダヤ人の中でもアメリカにいてグローバリスムを主張する派とイスラエルのナショナリスムを支持する派が分かれている。イスラエル支持者は、当然多元文化主義のグローバリスムと矛盾するのである。とくにリーマンショックのあと金融のユダヤ人たちの内部でも分裂している。民主党のヒラリー・クリントン国務長官が、ユダヤ人の代弁者であったことも知られている。(田中英道『 外交問題のへそはユダヤ人問題である――韓国を例にして』)


 

転記

 投稿者:sandaigasa 山桜  投稿日:2015年 6月 8日(月)12時11分50秒
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  意見
  投稿者:山桜  投稿日:2014年10月11日(土)14時38分48秒 ZT161218.ppp.dion.ne.jp
返信・引用編集済







 では『日本の文化・伝統の保守』とはどういうことを指すのだろうか?

 私見では『日本の文化・伝統』の具体的内容は“戦後レジーム”を脱ぎ捨て大東亜戦争敗北以前の大日本帝国を復元することで完結するわけではない。大日本帝国の“栄光”は悠久の日本史において『日本の文化・伝統』が具現したひとつの風景にしか過ぎないと思う。

 では我々が保守したいと願う『日本の文化・伝統』とはどういうものであろうか?
それはすでに広く知られたことであるが“日本史”に遺されている日本人の文化・伝統の実相である。そしてそれは日本民族の遺した“国民精神の軌跡”の本流を追尾することによってしか得られないと思う。


 

転記

 投稿者:sandaigasa 山桜  投稿日:2015年 6月 8日(月)12時10分17秒
返信・引用
  感想
  投稿者:山桜  投稿日:2014年10月 9日(木)14時09分33秒 ZT161218.ppp.dion.ne.jp
返信・引用編集済







 アメリカはいま金融界のみならず文化芸術に関わる中枢をユダヤ人に支配されている。
“流浪の民”ユダヤ民族にとって政治的にも文化的にも世界の既成の“権威”を破壊することは民族の悲願である。これは共産主義の目標と重なる。

 計画経済のアメリカ版であるニューデイール政策を実行した張本人のルーズベルトがユダヤ人で その配下のGHQが共産主義的施策によって日本破壊を試みたというのが敗戦直後の日本の歴史である。だからアメリカがソ連やシナ共産党と同類というのは当然のことだ。

 にもかかわらず“親米保守”という変な思想が現れてきた。

 敗戦後世界を東西に分けて日本はいずれにつくべきかという問題提起がなされた。
そしてこの発想から西につくのが保守で東につくのが革新という観念が生じた。
すなわち“親米保守”は“東西対立”のパラダイムがすでに終焉しているのに気付かないのである。


 “保守”とは何か。やはり日本民族自身の文化・伝統の保守であろう。
その根拠を西欧思想に求めることは、明治以来の日本知識人の通弊というべきである。
 

両建ての手法

 投稿者:sandaigasa  投稿日:2014年 8月16日(土)10時53分53秒
返信・引用 編集済
   相場のプロであれアナリストであれ、一般に顧客に投資を指南する立場にある人々からの納得は得られないかもしれないが、現段階における人間の知力は“相場”の先行きを予見できるほどには達してはいないといわざざるを得ない。この理由は、相場にかぎったことでもないが、いまなお人間の未来予見能力はあやふやであるという経験的な事実にもとづく。

 無論、ある限られた時期の、あるかぎられたテーマについて、ごくわずかのひとが、予測を“的中”させたことはあった。例えば“桐ひと葉落ちて天下の秋を知る”の警句でスターリン暴落の到来を予言した伝説の相場師石井久氏もそのひとりである。だがこうしたケースがきわめて稀なケースであったからこそ、いまなおその逸話が語り継がれているのである。実際に相場の歴史をのぞいてみれば、ある限られた時期、名相場師として名を馳せた人であれ、終生“常勝軍”の名をほしいままに生涯を終えた人は暁天の星のようにまれであったといえる。

この事実は、いうまでもなく自然の世界がいまなお人間の知力を遥かに上回っていることを物語っているのであり、これを相場の世界にあてはめれば、自然のひとつの現われともいうべき人間の欲望の集積体である市場における相場の世界が、人間のあらゆる分析・総合の力を結集した領域を遥かに凌駕していることを示している。

しかしにもかかわらず、相場に関わろうとする人々は、こうした“予測的中”の僥倖がいつの日かわが身に降りかかるかもしれないことを夢見て市場に参加しているのであろうか。だが人智の限界を知るものにはそれが無謀な夢であることは見えてしまっている。

また他方で、人間がこうした危険性を覚悟の上で夢や希望に向って行動することが人間の知力の限界に挑むことでもあると考えれば、一概にこうした行動を揶揄したり批判したりすることが正当ともいえない。


しかし私がここで提案する投資法というのは、人間の知力にとって不可解ともいうべき市場を前提にしている。その投資法は捕らえどころのない相場に対する絶望を前提にしたものである。相場のはらむ危険性から可能な限り遠ざかることを目指したものであらざるを得ない。

 

(無題)

 投稿者:sandaigasa  投稿日:2014年 7月24日(木)13時29分56秒
返信・引用
  [文學界」(文藝春秋/3月号)に「石原慎太郎『芥川賞と私のパラドクシカルな関係』」と題されたインタビューが掲載されているのだが、そこで石原氏は「皇室について、どのようにお考えですか」と聞かれ、次のような発言をしているのだ。

「いや、皇室にはあまり興味はないね。僕、国歌歌わないもん。国歌を歌うときにはね、僕は自分の文句で歌うんです。『わがひのもとは』って歌うの」
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

この石原発言をめぐってこれを『保守』にあるまじき暴言であるとか、あるいは『保守』にとって天皇の存在は不可欠のものであるか否かとか、さまざまな論議が交わされている。
 

(無題)

 投稿者:sandaigasa  投稿日:2014年 7月17日(木)08時09分20秒
返信・引用 編集済
  あたりまえのことだが あることがらを生涯の仕事(職業)として成立させるためには、それに従事するものの仕事遂行に対する確固たる信念、倦むことを知らない情熱が求められる。とりわけて相場を業としようとするもの(以下「相場師」と称する)に要求される態度であるといえよう。

その理由はこれまで職業として相場に関わろうとするひとに社会全般から、無謀で子供染みた願望と片付ける健全な良識が存在するからである。これを代表する意見は主に二つの理由から出ている。

ひとつは 過去の社会通念に照らして、額に汗して働くこともせず「鞘とり」つまり株価の差額を利することを目的とするような仕事は虚業であって まともな人間が従事べき正業とはいい難いという考え方である。もうひとつは、相場とは未来の先読みが命であるが もともと未来を予測するなどということ自体不可能な人間に「鞘取り」などという芸当はできるわけがないという批判である。もともと人間に不可能なことに挑戦するという企て、ましてそれを生業としようとすること自体、身のほど知らずの所業、虫のいい考えというわけである。
 

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