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蒼碧集9より体験発表…【4】

 投稿者:HP執行部  投稿日:2009年 3月 7日(土)16時39分0秒
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護法の一念で

悪質な進行癌を克服

S寺法華講 K.K

(平成十年五月二十四日)

本日は、妙観講第二十回総会にお招きいただき、また、この記念すべき総会で、
私に体験を述べさせていただく機会を与えられましたことは、光栄の極みです。
まことにありがとうございます。


私は、昭和三十六年、五歳の時に、創価学会員として日蓮正宗に入信いたしました。
そして、父母と共に、熱心に活動する学会っ子として育ってまいりました。

そんななか、父が学会活動中に脳内出血で倒れ、事業の精算を余儀なくされたり、
また、僅かばかり残ったお金を、同志である学会員に騙し取られて一文無しになって
しまうなど、様々なできごとが続きました。
さらに、私が一生懸命、学会活動をすればするほど、
創価学会の危険な体質を見せつけられ、ついに平成二年二月、御法主上人猊下のもとで
正しい信心をしたい、との思いで、地域の同志達とともに創価学会を脱会いたしました。



私の脱会は、県総合女子部長、県主任部長という要職を経験した学会職員や、
地域の男子部幹部を、多数巻き込んでの脱会でありましたので、
学会からの憎しみが集中しました。

 例えば、私を呪う唱題表が配布されたり、道ですれ違った見ず知らずの小学生までが
私を誹謗したり、また、近年の学会幹部の話によると、私を殺してもいい、
と考えている者までいるそうです。

 それでも、怯むことなく学会との闘いを続けていきましたところ、
平成八年の暮れより、学会怪文書『勝ち鬨』が、嘘と捏造の記事をもって、
私の誹謗中傷を連載で始め、全国に配布いたしました。



 明けて平成九年になりますと、学会は、この『勝ち鬨』に加え、
県青年部長名で私を中傷する変態文書を作成し、各所に配布する、
という馬鹿げた行為を始めました。

 この時期は、ちょうど仕事の面においても、業界自体が平成不況の影響を受け、
年間の商い高が半分になったとも言われている状況でしたので、私の経営する会社も、
立て直しに四苦八苦している、たいへん多忙な時でありました。



 私は、仕事がこんな大変な時に、学会も厄介なことをしてくれた、と思いましたが、
その時に、妙観講のS副講頭から、「これは折伏ゆえに起きた難なのですから、
かえって罪障消滅ができて、良くなりますよ」との話がありました。
今になって思えば、本当に、そのとおりの結果となっております。


 ところで私は、学会男子部だった時代に、きわめて重い糖尿病を患いました。
その糖尿病を引きずったまま、それ以外にも複数の病を抱えてしまい、
長い年月にわたって、毎月病院へ行き、常に医者に管理されている状態でした。

 そんな体の状態でも、食べることと飲むことが大好きで、酒の量を減らすことも、
食事の量を減らすこともできず、お酒にいたっては、どれほど多忙であっても、毎晩、缶ビール二本、冷酒二本、ウィスキーの水割り四杯、そして仕上げはワインか焼酎をと、まるで浴びるがごとく飲み続けていました。

 医者からは「このままでは、間違いなく五年前後で死ぬことになりますよ」と
警告されましたが、私は、「酒を止めるのなら死んだと同じですから」と言って、
まったく酒を減らしませんでした。



 こんな状態ですから、私は病院から、最低年一回の胃カメラを義務付けられています。

 この時も、四月までには必ず胃カメラを飲むように、と指示されていたのですが、
学会のバラ撒く怪文書への対応と、仕事の立て直しに追われ、
ついつい時間を惜しんで胃カメラを飲まずにいたのです。

 それでも、なんとか夏頃までには胃カメラでの検査をしよう、と考えておりましたが、
夏になると、学会は、今度は『聖教新聞』を使い、実名入りで私を誹謗中傷してきました。

 私は、この悪質な『聖教新聞』の行為に対し、弁護士とも綿密な打ち合わせの上、
甲府地検に刑事告訴を行ない、続いて学会怪文書『勝ち鬨』に対しても
刑事告訴を行ないました。



 そんな関係上、胃カメラでの検査は、大幅に遅れて十月になったのです。

 その時の検査は、いつもより時間が長い上に、途中、慌てて専門医を
呼ぶ声などが聞こえ、さらには「生検、生検」という言葉が妙に気にかかりました。
生検というのは、御承知のように、肝臓とか胃の細胞を直接取って検査することです。

終了後、検査した医師より、「潰瘍がありましたが、心配はないと思います。
いちおう、その部分の細胞を取って検査に回しておきました」との説明があり、
私はすっかり安心していました。

 ところが、数日後、病院より突然電話があって、
「家族の方と来てください」とのことでした。「もしや」と不安を募らせながら、
指定された時間に妻と二人で病院に行き、詳しい説明を聞きました。

 医師が困惑した顔で言葉を選びながら話す様子に、
私は、「つまり、癌ですか?私は信仰を持っていますので、
ハッキリ全てを話してください」とお願いしました。

 すると医師の回答は、「かなり悪質な癌で、それも極めて危険な状態であり、
早急に手術を要する」との内容でした。

 その時、看護師さんには、私が何の動揺もしていないように見えたらしく、
「これほど悪質な癌を告知されたにも拘わらず、
まったく動揺していない方を初めて見ました。何をされているのですか?」

と尋ねてきましたので、私は、日蓮正宗の信心をしていること、
聖教新聞を刑事告訴していること、さらに創価学会の反社会性を語り、
病院としての今後の配慮をお願いしました。

 それから私は、真っ先にS寺へ向かい、御住職に病気のことを報告し、
今後のことについて種々御指導をいただきました。

 しかし、何を報告して、どんな御指導をいただいたか、よく覚えていません。
とにかく私は、「死を迎えるまで講頭として恥ずかしくない信仰をしよう」と、
もう死を迎えることで頭がいっぱいだったのです。



 S寺を出て家路に向かう途中、共に学会に対して闘ってきた大草講頭や
S副講頭にとにかく連絡しなければと思い、自動車電話でS副講頭に連絡をいたしました。

 夜遅くのことで、しかも遠い道程であるにもかかわらず、大草講頭とS副講頭は
「とにかく、すぐ行くから」と、我が家に駆けつけてくださいました。

 大草講頭には、本当に細かなところまで激励をしていただき、
最後には「Kさん、順番が違いますよ。僕が死んでからKさんが死ぬのです。
そういう約束だったはずですよ」と励ましてくださり、S副講頭は、
「いまKさんに死なれたら困るんです」と涙ながらに語られました。

私は、仮に死ぬことになっても、本当に信頼できる人たちと出会うことが
できたことを心から喜び、涙を抑えるのに必死でありました。



翌日、本山へ向かう私の車に大草講頭から電話がありました。大草講頭は、
まるで自分のことのように、朝から八方手をつくし、有名な医者の手配をして
くださっていたのです。

紹介していただいた医師は、手術しないで癌を治すことで有名な方でありましたが、
私を検査した結果、「かなり危険な状態になっているかもしれない。
即刻、もう一度胃カメラを飲んで、検査結果によっては、即手術だ」と言われ、
設備と人材の整った東京の大学病院をその場で紹介し、
担当医師まで指名してくださいました。



こうして私は、紹介された医師の手で、再び胃カメラでの検査を受けました。
ところが、甲府の病院で検査した時にあった潰瘍が、全く消滅しており、
癌もどこにあるのか、見当たらないというのです。それでも疑わしい部分の細胞を取り、
病理検査に回し、検査結果は後日ということになりました。

 検査結果を待つ、ある日のことでした。仕事で富士宮へ向かう途中、
突然、涙が溢れてきました。


 そして、「これは罰だ。脱会した時以来、御法主上人猊下に
ひたすら御奉公すべき身であったのに、いつ死んだっていい、などと自分の身も
省みずに暮らしていた罰だ。自分の役目を疎かにしていた罰だ」と、
頭の中に今までの様々なできごとが浮かんできました。

 体内の水分がなくなるのではないかと思うほど涙が出てきました。
そしていつのまにか、初めて真剣に「御本尊様、私を救ってください。助けてください」と、
必死に泣きながらお題目をあげていました。

 この日から私は、御本尊様、御法主上人猊下にもっともっと御奉公をしたい、
と真剣に祈るようになったのです。



 検査結果が出るまでに、御法主上人猊下の北海道旭川への御親教などがありましたが、
家族や周りの者は、私の身体を気遣い、御親教へ行くことを止めました。しかし私は、
今後、許される限り最後の最後まで、猊下のお側で御奉公させていただくんだ、
との決意でお供させていただきました。

 御親教から戻ってきた日、検査結果についての連絡があり、指定された日に結果を
聞きに行きましたところ、やはり、悪質な癌で即手術ということになり、
大学病院へ入院となりました。



 手術は、七時間以上もかかる大手術となりました。手術中、S寺では、
もったいなくも御住職が有志達とともに唱題をしてくださいました。

 また、大草講頭より私の病のことを聞かれた小川只道御尊師は「僕も病院へ行くよ」と
心配してくださり、心よりありがたく思いました。

 そして、多くの方々が見守ってくださる中、手術は大成功いたしました。
困難な手術であったにもかかわらず、術後の経過は医師も驚くほど順調で、
術後二日目から歩き出し、きわめて早い退院となりました。

 癌で胃を全部摘出した場合、その後の生活が非常に大変であるとよく聞きますが、
私の場合は三度の食事もキチンと取れますし、社会生活にさほど不便を感じておりません。
退院してきてすぐ、取引先との中華料理の食事会がありましたが、
皆さん私の病気にまったく気付かず、胃のない私に向かって
「相変わらず胃腸が丈夫ですね」などと言われ、返答に困ったほどです。



 今、癌告知から現在までを振り返ってみますと、御本尊様のお力に驚くばかりであります。

 まず、私の癌は、表には現われないために発見がじつに困難で、
しかも進行がかなり早い悪質な癌でした。そのため、私と同じくらいの年齢で、
これにかかった人は、発見されたときには、ほとんど全てのケースが手遅れだったそうであります。もし、あの時、学会との闘いがなく、予定どおり四月の時点で胃カメラを飲んでいたら、痛が小さすぎて絶対に発見されなかったそうであります。また十月の時点でも、たまたま潰瘍が発見されなければ、見逃がしていただろう、とのことであります。

 癌発見のきっかけとなった潰瘍についても、不思議なことに、
最初の病院での検査の時に出てきたのみで、
数日後の検査では姿形がまったくありませんでした。
それは、まるで、臓器の中で浸潤を続けている癌細胞の存在を知らせるために、
出てきたようなものだったのです。



 このような奇跡的な発見、そして手術の大成功、これだけでも御本尊様の大功徳には
感謝申し上げるばかりですが、さらに「このままでは、
間違いなく五年前後で死にますよ」と医師に断言されていた糖尿病の数値も、完全に正常に戻り、他の持病も含めて、この癌との闘いの中ですべて治ってしまったのであります。

 入院する前、御住職に、「許されるのであれは、もし、生きて帰ってこれた暁には、
来年の妙観講の総会で体験発表をさせていただきたい」と、ご相談しました。

 御住職は快諾してくださりながらも、他の講中の総会で体験を述べるなど、
失礼にあたらないか、と御心配されていました。私は、「大草講頭を先頭に、
学会と最前線で闘っている妙観講の方々の前で、体験を発表させていただきたいのです」と
申し上げ、また、その旨を大草講頭にもお話いたしました。



 そして本日、生きて帰り、こうして皆様の前で体験発表させていただくことができました。

 これもひとえに、大草講頭、S副講頭並びに多くの妙観講の皆様のお力添えが
あったからであります。

 先日、癌再発の検診を受けましたところ、
ありとあらゆる検査数値が正常でありました。
しかし、再発率が非常に高い悪質な癌でありますから、けっして油断はしておりません。
日蓮大聖人様は、「病あれは死ぬべしという事不定なり。
又このやまひは仏の御はからひか。そのゆへは浄名経・捏磐経には病ある人、
仏になるべきよしとかれて侯。病によりて道心はおこり候か」と仰せられております。



 これからも油断・怠りなく、御本尊様に救っていただいたこの命で、
大御本尊様と御法主上人猊下に対し奉り、妙観講の皆様に負けぬよう、
そして妙観講と共に、さらなる御奉公をしてまいる決意であります。(大拍手)


*上記体験発表は、暁鐘編集室の承諾を得て蒼碧集9より引用しております。
 


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