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法難堪え忍び顕われた実証

 投稿者:埼玉県出身I@札幌  投稿日:2006年 1月28日(土)01時50分29秒
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  妙観講 K・Hさんの体験です。

 私は、平成2年5月に友人の紹介で日蓮正宗に入信しました。入信当時は学生でしたが、将来の目標もなく、いい加減な人生観で生きていました。
 バリ島に長期滞在して、現地人の友人達とともに、真面目そうな日本人観光客を相手に、ぼったくりの商売をしていた時期もありました。
 そのような私でしたから、なかなか真面目に信仰することができず、会合に連れていかれても、後ろの方でタバコをふかしていたり、本当にふざけた態度で信仰をしていました。

 ところが、入信して半年が過ぎた平成2年11月、創価学会間題が勃発したのです。
 講中あげて学会員への再折伏が展開されるなか、私も、何がなんだかわからないまま、その渦に巻き込まれるように、折伏に加わっていきました。
 とくに大阪の折伏では、大勢の学会員に取り囲まれたり、尾行されたりということが続きましたが、先輩方と折伏に回らせていただくことが本当に楽しく、信心の歓喜がどんどん湧き上がってきたのでした。
 そして、平成9年11月全創価学会員が日蓮正宗の信徒資格を失ったことに伴い、それまで数年間の、創価学会員を優先した折伏から、学会員を含むあらゆる謗法者を折伏する方針へと変わりました。

 入信以来、学会員への折伏ばかりで、周囲の人々の折伏など、ほとんどしてこなかった私は、たいへん戸惑いました。
 どのように進めたらよいのか、どう話したらよいのか、全くわからない状況でしたが、先輩方の体験を伺い、罪障消滅をして幸福になっていく道は、折伏以外にないとわかりました。
 折伏をして、周囲の人々から悪口を言われ、いじめられる、そのことで謗法の罪障を消滅させていただくことができる。難に遭われた先輩方は、その後、皆、大功徳をいただいていることを教えていただきました。
 そして、講中伝統の折伏のあり方を、機会あるごとに教えていただき、少しずつではありますが、折伏の確定を取っていくことができるようになったのです。
 それは、「嫌われたらどうしよう」とか、「怒ってしまうのではないか」という臆病な気持ちとの闘いでしたが、そのつどに御題目を唱え「日蓮が弟子等は臆病にては叶ふべからず」(御書1109頁)との大聖人様の御金言を思い起こして、折伏をしていきました。

 最初に折伏した学生時代の友人達は、皆、反対しバカにしてきましたが、その一方で、私の方は本当に強い生命力が涌いてくるのを感じ、難を受けることで過去以来の罪障が消滅する、ということが心から確信でき、たいへん有り難く思いました。
 そこで、今度は、なかなかできなかった会社の同僚・上司も折伏していくことにしました。
 そして一人、また一人と折伏を進めていったところ、私が宗教の勧誘をしている、という噂が杜内に一気に広まり、完全に孤立した状態となったのです。
 仕事のこと以外は、誰からも声をかけてもらえなくなり、一番仲の良かった同僚からさえも、「私よりも仕事ができないくせに、何が宗教だ」とたいへんバカにされ、避けられるようになりました。

 そうした中、節分の日に、社長の好意ということで、全社員に、神社で祈祷された福豆が配られることになりました。
 今まで折伏しなければと思いながらも、社長だけはできなかったのですが、これを見過ごしたなら私自身が謗法与同の罪を作ってしまいます。御本尊様に「臆病な私にも折伏をさせてください」とおすがりして祈り、仕事が終わった後、社長の所へ行きました。
 社長は、「不景気な世の中だから縁起担ぎに配ったものだ」と言っていましたが、私が、「そのような宗教こそ不幸の根元です」と話し始めると、ヒステリックになって、私が返した豆を投げつけてきました。
 そして「君が宗教の勧誘をしていることは社内で大問題になっている、どうなるか覚えていろ」と言ってきたのです。

 次の日より、社員全員に、私から宗教の話を聞いたか、どんな話だったか、という調査が行なわれました。そして、その数日後、上司より呼ばれ、部署の変更を申し渡されたのです。
 私の勤める会社は、印刷会社で、私はコンピューターのオペレーターとして、主に編集作業をしていたのですが、全く職種の異なる工場へと回されることになりました。そこは、男性ばかりの職場で力仕事しかありません。
 上司は、私が移動の理由を尋ねても、一切答えず、「嫌なら辞めてもらってかまわない」と、自主退職を迫ってきました。
 しかし、ここで自ら辞めてしまったら、折伏したことが誤りになってしまいます。どんなに辛い思いをしても、それに堪えて勤めていこう、と決意しました。

 会社に行っても、仕事らしい仕事もないので、掃除をしたりして時間を過ごし、定時が来るのを待つ日が続きました。仕事のできないことが、こんなに辛いものだとは、思ってもみませんでしたが、大聖人様の御金言を思い、また先輩に励まされながら、貫くことができました。

 そのような状態が2年あまり続き、平成12年6月に、もとの部署に戻ることができました。しかし、風あたりが強いことに変りはありませんでした。
 また、同じ頃、家族・親戚を折伏するなか、何度も父に殴られたり、ヒステリックになった母から「信仰を続けるなら出ていけ」とわれることがたび重なっていました。
 ある日、私の部屋に、一通の手紙が置かれていました。「宗教を止めないなら、今年中に家を出ていくように」との母からの最後通告でした。私は支部長・部長に御指導いただき、家を出ることにしました。

 信仰して幸せな生活ができるどころか、どんどん厳しい状況に陥っていく信心惰弱な私は、時には迷いを生じ、愚痴や嘆きの心を起こしてしまうこともありました。
 そんな私を、いつも部長が励ましてくださいました。そして、私自身のもつ宿業がこの事態を招いていること、末法に生を受けた我々には、それだけ重い謗法の罪障があって堕地獄が定まっていること、それを免れ言るために折伏していかなくてはならないこと等々を、繰り返し繰り返し、教えてくださったのです。

 部長の励ましで立ち直ることのできた私が、家を出て引っ越してきた大阪は、「常勝関西」と呼ばれるほど、学会員の多い所でしたので、周囲の謗法者と併せて、学会員の折伏も精いっぱいさせていただきました。
 なかなか、話のできる人が見つからず、6時間、7時間と電話をかけ続けることもありましたが、これでもか、これでもかと、一軒一軒、執念深くあたっていきました。
 そのような中、今年は宗旨建立750年の佳節の年にあたり、講中においては、毎月200所帯の折伏を果たして、平成14年度中に2万の陣容に成長し、猊下様にお応えしよう、との方針が打ち出されました。
 そして、元朝勤行の後、理境坊において開かれた新春幹部会の席上、大草講頭は折伏をなす3つの秘訣を教えてくださったのです。
一、何としても折伏をさせていただきたい、という強い願いを起こす
二、寸暇を惜しんで折伏を実行する。
三、誓願心が蘇ってくるまで唱題を重ねていく。と。講頭自ら、これを実践し、壁を突破してこられたとのことでした。
 私は、「これだ!」との思いで、すぐに、この3項目を実践していきました。
 その結果、三障四魔も起こってきましたが、折伏を続けていく中で、入信・入講する人が現われ、3月をもって、班の年間折伏目標を達成させていただくことができました。

 ると、その直後、社内での私の立場が一変してしまったのです。というのも、4月の始めに、会杜の慰労会があったのですが、その時、社長の甥にあたり、次期の我が社を担っていく人と話す機会がありました。
 その中で、いろいろと仕事の話をした結果、「辞めてもらっては困る存在だ」とか「会社の力になってほしい」「昇給についても僕がアピールしてあげるから」など、大変よい評価をいただき、さらに、今後に期待していただけるようにもなったのです。
 その後、やりがいのある仕事、大きな仕事も任せてもらえるようになり、気付いてみると、3年前と比べて、かえって仕事の内容も充実し、待遇もよくなっていたのでした。

 先日も、とんでもない事で誉められました。私は、折伏や会合参加、拠点の警備等々、仏道修行に時間を使いたいので、定時になると、いつも、いの一番に退社していたのですが、そのことが「残業代の経費節減に貢献している」と評価されてしまったのです。思ってもみなかったことに、驚いてしまいました。

 大聖人様の御金言に「法華経を信ずる人は冬のごとし、冬は必ず春となる」(御書832頁)とあります。
 私は、折伏をしたことで工場に廻されたり、家を出されたりと、いったんは本当に辛い思いをしました。
 しかし、その時期を経て、少しでも罪障を消滅し、こうして本当に恵まれた状況へと変わることができました。「本当に御本尊様は有り難い」という思いでいっぱいです。

 一方、折伏に反対して仏法に背いた人達は、会社を急に辞めてしまったり、仕事上で大きなミスを立て続けに起こしてしまったりと、分々に罰を被っています。
 この体験を忘れることなく、まだまだ、信心惰弱な私ではありますが、御本尊様の絶対の御力を信じて、精いっぱいの御奉公をさせていただくことを決意いたします。
 


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